October 06, 2004

◆「緑のダム研究」が載った徳島市の HP とみんなの会の HP の反響

NPO法人 吉野川みんなの会の、姫野雅義様から連絡いただきました。
「緑のダム研究」が載った徳島市の HP とみんなの会の HP の反響が続々届いています。ぜひごらんください。

ジャーナリスト樺嶋秀吉氏(著書「知事のお仕事」で吉野川を取り上げた)も、その感想をホームページに載せていますので紹介します。

・基本高水=徳島市・吉野川でできて長野市・浅川でできなかったこと

 吉野川可動堰計画に反対している「NPO法人吉野川みんなの会」の姫野雅義さんから「吉野川第十堰の可動堰計画に代わる研究成果報告書」が徳島市のホームページに載った(まとまったのは半年前です)との連絡を受けたので、見てみました。
http://www.city.tokushima.tokushima.jp/daijyuu/gaiyo01.html


 この代替案作成のための研究は、住民の呼びかけに応じた森林生態学、森林政策学、河川工学、経済政策などさまざまな分野の研究者を構成メンバーとする「吉野川流域ビジョン21委員会」が3年間の歳月をかけて行ったものです。膨大なデータの収集や現地調査には住民パワーが力を発揮したそうです。研究費(3200万円)は、寄付や社会貢献型クレジットカード(買い物をすると代金の一部が自動的にカード会社から会に寄付される)の発行、高木仁三郎市民科学基金の助成、それに住民投票を機に可動堰反対に転じた徳島市の補助金(1600万円)などで賄われました。

 で、肝心の研究内容ですが、姫野さんが「大河川で、森林の変遷を考慮した洪水流出計算がおこなわれたのは日本の河川史上初めてのことです」と胸を張っているように、「緑のダム」の治水効果を客観的な数字で検証することです。その結果を分かりやすく言うと、次のようになります。

(1)150年に1度の洪水を想定した現在の基本高水流量(洪水ピーク時の流量)は、流域の森林が自然林から人工林へ植え替えられ、その治水能力が最も低かったころのデータを基にしている。
2)現在はその人工林も成長して治水能力がある程度回復しており、今後さらに間伐によって治水能力が上がれば、20年後には基本高水流量自体が新たなダムを必要としない数値にまで下がる。

 この研究結果もすごいことですが、もっとすごいのは、そのために3年間で28か所444地点の現地調査を、地元自治体や林業関係者の協力を得ながら、延べ数百人の住民たちが手弁当で行ったということです。姫野さんはその経緯を「みんなの会」のホームページで紹介していますが、その中で「住民運動が単なる反対運動にとどまるのではなく、住民自身があるべき代替案を考え、これを基礎自治体が支援し、川の将来を決めていくという、これまでになかった河川事業の新しいスタイルが吉野川で生まれつつあるといえよう」と述べているのがとても印象的です。

http://www.daiju.ne.jp/katsudohokoku/report6.htm

 じつは、この姫野さんのレポートがHPに掲載された翌日(9月27日)、長野県では、「脱ダム宣言」によって建設が中止された浅川ダム(長野市)の治水代替案を話し合う浅川流域協議会が開かれ、旧ダム予定地付近に想定する河道内遊水地(事実上のダム)の堤の高さが最大で約50メートル、最小でも28メートルとなることが県から報告されました。50メートルといえば、中止されたダムにほぼ匹敵する高さです。

 脱ダムのはずが、どうしてこのような事態になったかというと、ポイントは徳島市の吉野川のケースと同じで基本高水流量の設定です。浅川では100年に1度の洪水を想定し、国交省(旧建設省)が決めた数値のままで治水計画を立てているために、河川改修や遊水池などで防げない分をやはり上流のダムでカットするしかない、という結論にならざるをえないわけです。

 浅川ダムの中止を答申した県治水・利水ダム等検討委員会は、この基本高水流量の見直しも併せて提言したのですが、田中康夫知事は基本高水はそのままにして建設中止だけ決めました。検討委員だった新潟大学の大熊孝教授(河川工学専攻)は『世界』10月号に寄稿した「脱ダムを阻む『基本高水』」の中で「(長野県の)河川行政はそれを採用せず、高い基本高水に固執し、いまだにミニダムと呼ばれる河道内遊水池などのハード的対応を志向し続けている。『脱ダム』の理念は、道半ばであり、現実の行政の中で苦悶している」と述べています。

「脱ダム宣言」後、田中知事は検討委員会に丸投げし、行政としての地道な調査や研究は全くせず、その答申後も国交省との衝突を避けて現行の基本高水を維持しました。そういう知事の姿勢を黙認したのは、他でもない長野県民です。もし、徳島市の「つくる会」のような組織が長野に誕生して、知事を巻き込みながら脱ダムのための研究が行われていたら、今のような事態にだけはならなかったかもしれません。「吉野川第十堰の可動堰計画に代わる研究成果報告書」や姫野さんのレポートを読みながら、そう思わずにはいられませんでした。
Posted by harurin at 03:06 P | from category: NGO | TrackBacks
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